こういうものかもしれないけれど
生き別れた半身にあったような気持ちになってきた。
生き別れた半身にあったような気持ちになってきた。
それぞれ事情があるし一生懸命生きているものなぁと思っていると、ひどい目にあわされた人の話を聞いたときに一緒に怒ることができなくて、微妙な気分を味わいました。
隣人を愛する人は隣室で騒ぐ大学生に悩まされている人を癒せないし、右の頬をぶたれて左の頬を差し出す人はぶたれて嘆く人を癒せない、とか。
って、これじゃあ、すげー大人物みたいですな。実際、自分がちょっと楽しくない目を見ると、大騒ぎして共感を求める方です。
ふだんtumblr.に書いているようなことをいろいろ考えたんだけど、PCの前に座るとどうでもよくなるね。
人が過去の罪とか失敗を悔いているとき、
「今は違うでしょ。(だから、気にする必要ないよ)」
といいたくなるけど、実のところは、当時と今のその人はつながっていて、罪とか失敗を繰り返してしまうかもしれない人だったり、罪とか失敗を未だに責められている人なのです。
だから、今現在あなたが感じていることを主観として話してあげてください。
「今はぜんぜんそんな感じしないよー」とか「話してくれてうれしいよー」とか。
同じようで違うのです。
まぁ、本当に対応のしようもないこともあるかもですが、許容範囲じゃなければ友達やっていないでしょうし。


(via meltyblack)

“実は心理学では『生理的覚醒による優勢反応の強化』という言葉があります。
まず、『生理的覚醒』というのはひと言で言うと『気合を入れる』ことです。
そして『優勢反応』というのは文字通り優勢な反応のこと
「けど仕事もあるし……!」
なら、『行きたい』が優勢反応ですし、
「勉強しなきゃ……」
なら、『したくない』が優勢反応です。
すなわち『生理的覚醒による優勢反応の強化』というのは
ということになります。
好きなことはより好きにイヤなものはよりイヤになるわけです。
何かをするときに気合を入れようとするとする人は多いものです。
その際、心の底で臨んでいることだと
となりますが、逆にあまり望んでいないことだと
「ヨッシャ! 勉強しよう!
となってしまうわけです。”